監督になりたくて/自分を語れば変態ですか?
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  • 2015.10.09

    ◆1984◆

     みなさま、監督の福原です。どうもどうも。ここでは、映画『愛を語れば変態ですか』を観ようかどうか迷っている方のための小さなきっかけ作りをと思い、私の映画への思い、映画監督への思いを書くことにしました。
     この人、映画好きなんだ→私も→映画好きはみんな友達→友達が撮った映画、観にいかなきゃ→2回観にいかなきゃ→周りにも薦めなきゃ→監督のこと、好きになっちゃった…  という流れになる予定なのですが、何が起こるかわからないのが人生と映画。
    うまくいくことを祈りつつ、先を続けます。

     さて、私の「監督になりたくて」を語ろうとすると、まず1984年2月まで遡ります。
     75年6月生まれの私が8才の時です。この年、初めて映画館に一人で行きました。
     「はじめてのおつかい」気分で、親が冒険させたかったのかもしれません。とにかく神奈川県平塚市の映画館へ。隣りの伊勢原市に住む私の家から子供の自転車で1時間くらい。 親とは何度も一緒に映画版どらえもんを観るために連れていってもらった映画館ですが、一人でいくのは初めてでした。スマホなんてない時代ですから、親に手書きの地図を書いてもらい、 当時は入れ替え制じゃなかったので最初から繰り返し見るつもりで、お弁当まで作ってもらって。

     そんな風に気合いを入れて観に行った映画とは…、

    「プロジェクトA」

     この映画について、今でもよく覚えている光景があります。
     映画館の中でも大人はみんなタバコを吸ってたあの時代。緊張感のあるシーンでは息を止めていたのでしょう。 時計台落下の名シーンが終わった瞬間、前の席から一斉に、安堵のため息と共にタバコの煙がぶわぁーっと立ち上ったんです。

     紫煙越しのジャッキー・チェン。
     その日から私の神様になりました。

     うちの両親はなかなか厳しい人で、「テレビを見るとバカになる」と、小学校時代は、動物の生態を見せる「野生の王国」とNHKのアニメ「ニルスのふしぎな旅」しか見せてくれませんでした。 ドリフもひょうきん族もなし。志村けんもビートたけしもよくわからない私は、当然、クラスの話題にまったくついていけず、仲間はずれにされることもしばしば。
     唯一、みんなと会話できたのが、「ジャッキーの素晴らしさ」について。他に「ユン・ピョウとどっちが強いのか」、「サモ・ハンは本当にバク中してるのか?」、「あの先生、リチャード・ンに似てるよな」とかとか…、 ジャッキー映画とその周辺の役者について話す時だけ、みんなの仲間に入れてもらえました。
     ジャッキー映画は、学校生活をサバイヴするためにも必要なものでした。

     ジャッキー映画で一番憧れたのはエンドロールで流れるNGシーンです。
     劇中のアクションシーンが、いかに何度も挑戦した末に完成したものかがわかる恒例のNGシーン。 失敗して悶え苦しみ、時に担架で運ばれていくジャッキーが恐ろしくカッコよく見えました。
     それからは映画も実生活も、何でも見事にこなしてカッコよく決める人よりも、失敗しても立ち上がる人が好きになりましたね。

     まぁ大人になってからは「努力してる様は隠さなさいで見せた方がモテる」ということを、あのNGシーンから学びました。

     他にもジャッキーのせいで映画監督って主演も兼ねるものだと思い込んでた話や、ジャッキーのせいで映画監督って変な主題歌も歌うものなんだと勘違いしてた話、そしてこの年のもう一つのビックウエーブ、 「ポリスアカデミー」の衝撃が私に与えた影響なども書きたいのですが、今週はこの辺で。

     映画好きはみんな友達。友達の映画、見に来てね。

        
  • 2015.10.16

    ◆レンタルビデオ◆

     一週間ぶりです、こんにちは。前回は小学生の私とジャッキー・チェンの話を書きましたが、そんな私も中学生になる頃には映画との関係が大きく変化します。それは例のあれが町に出現したからです。
     たぶん88年位だと思います。地方によって時期に前後あると思いますが、それは全国規模で爆発的な増殖をしていた時期で、落語の「大山詣り」で有名な神奈川県伊勢原市育ち、田んぼと牛舎に囲まれた私の実家の近所にもとうとうあれが出来ました。

     その名はレンタルビデオ店。

     自宅で映画が見れてしまうというVHSビデオテープを貸し出すという革命的な商売。これで私と映画の距離はさらに縮まりました。若い人は何をそんなにと思うのでしょうね。でも、私もまだ40才。そんなに昔の話じゃないよ。  映画が!家で!そんな神業信じられませんという時代があったのです。

     ちなみに、うちの近所のレンタル店は最初一泊3000円でした。今と比べるとべらぼうに高いですが、映画館でしか見れない貴重なものを家で一人占め出来る権利を得るわけですから、当然映画代より高かったのですよ。 うちの近所のその店だけだったのかもしれませんが。

     でももの凄い勢いでレンタル店が乱立して、激しい価格競争が始まり、一年後には一泊500円くらいまで安くなりました。そのうち380円とかに落ち着いた気がします。

     当時は個人経営の店ばかりで、店主の好みによってかなり各店ごとの個性があり、メジャーな作品は学校近くの「オリオン」で借りる。マニアックな映画は北口の弁当屋の2階の「ビデオ・カリフォルニア」で。 国道沿いの「シネマはうす」は中学生にもエロビデオを貸してくれる、とかいろいろありましたね。

     それまでは映画は基本的に映画館でかかってるものしか知りませんから、映画ってこんなに沢山あるんだって驚きました。前回書いた通り、うちはテレビを見させてもらえない家庭でしたので、「日曜洋画劇場」で映画を見るとか、そういう経験もなかったので。

     この頃好きだったのはエミリオ・エステベス。「レポマン」見てびっくりしたんですよね。B級映画って言葉を知ったのも「レポマン」からです。今、見返すとB級とはまた違う種類の映画だとは思いますけど。
     素朴な田舎の中学生が、親とか先生の言うことを真面目に聞いてるとですね、「どうやら人生ってのは立派な、A級の人間を目指さないといけないらしい」って思ってしまうんですよね。 で、立派な大人になれなかった場合の生き方っていうのは全然教えてくれないので、すでにクラスでB級のグループにいる俺の将来大丈夫かな、とか。生きていく資格ないのかな、とか悩んでしまって。 そんな思春期にありがちな鬱屈を解消するためにスコセッシの「タクシードライバー」とかもあったんですが、あれは最終的に境界線を越えることの出来る人間の話ですからね。共感しつつも、ついていけなかったりして…。
     だから、世の中にはこんな素敵なB級の人間によるB級の世界があるってことを「レポマン」に教えてもらって、「とりあえず俺も生きていていいようだ」とか思ったことを覚えています。
     タクシードライバーで思い出しましたが、ハーヴェイ・カイテルの台詞の「本物の牧童かよ」って訳はどうなんですかね。カウボーイじゃダメなの?ずっと気になってます。ブルーレイとかだと訳が変わってるのかしら。

     脱線しました。エミリオ・エステベスです。エミリオ出演作をいろいろ見ました。「ヤングガン」とか「セントエルモスファイアー」を見つつ、「ウィズダム」でデミー・ムーアに恋したりして。
     で、弟もチャーリー・シーンって名前で役者やってるらしいぞってことで「ウォール街」とか「プラトーン」を見て、ウィレム・デフォーの死に方真似したり、父ちゃんのマーティン・シーンも追っかけて、 「地獄の黙示録」のキルゴア中佐の「アイ ライク スメル オブ ナパーム イン ザ モーニング!」って台詞だけカセットに録音して、アイワのウォークマンで繰り返し聞いたりして。一人ぼっちで。
     映画だけが友達ですね。ちょっと可哀想、俺。

     中学の時のことを思い出そうとしても、学校での記憶はほとんどないですね。友達もいたはずだし、両津勘吉みたいな身体だったのでいじめられたりはしてなかったんですが、でも覚えていることは、レンタルビデオ屋の棚と店員の顔ばかり。
     と、書いてて、中2の頃、放課後ふと教室に忘れ物を取りに行ったら、好きだったKさんという女の子とヤンキーのI君が2人きりでカーテンにくるまって話をしてて、「え?なに?なんなの?」とか思ってたら何か踏んづけて、 足下みたらKさんのブラジャーだったという、「桐島〜」のカメラがパンしたら落合モトキ!みたいな体験を思い出しました。水色のブラジャーでした。
     あ、一年は白!二年は水色も可!三年は自由!とかいうブラジャールールが女子バレー部の中にだけ存在していたことも今、思い出しました。

     また脱線しました。実は一番見ていたのは、ジョン・ランディスの映画なのですが、長くなったのでその話はまた今度。
     来週は中3と高1の間の春休みに起きた、「映画監督なろう!」と思った出来事を書きたいと思います。

     映画好きはみんな友達。友達の映画、見に来てね。

  • 2015.10.23

    ◆監督になろう◆

     さて、青春時代の映画にまつわる話を書いて共感得ることで、「そんな映画好き仲間の撮った映画、いっちょ見に行ってやるか」と思って頂けないだろうかというこの企画。三回目です。みまさま、「見に行ってやるか」という気持ちになってきたでしょうか?

     時代は平成に入りまして、91年春。4月から高校生ということで、中学までは勉強なんてしなくてもずいぶんと頭のよかった私も、一応塾なんかに行ってみるかということになりまして、近所の塾に通いだしました。その初日のことです。
     授業中にふと壁を見ると、「全国大学偏差値表」みたいなのが貼ってあったんですね。いろんな大学の偏差値が学部ごとにランク分けされている表で。この時、世の中には芸術学部というものがあって、そこに映画学科やら映像学科という学科があることを知るんです。
     それまで映画について学校で教えてもらえるなんて思ってもみなかったので衝撃でした。なにより衝撃だったのは、受験科目が現代文と英語だけとか、多いところでプラスして社会科の科目からひとつ選択する、とかで。その時点で「よし映画学科に入って映画監督になろう」と決めて、それ以外の科目は一秒も勉強しませんでした。数学とか三年間全部0点でした。
     そんな高校生の頃ですが、映画代やレンタルビデオ代を捻出するのが大変でした。特に東京で単館でしかやってない映画を見に行くには電車賃もかかりますし。焼き肉屋でバイトして必死で見に行きましたよ、「髪結いの亭主」とか。
     当時、僕の住んでいた小田急線伊勢原駅はまだ駅員さんが鋏で切符を切ってる時代で。新宿着いたら自動改札だったので、どうやって出ていいかわからなくて泣きそうになったり。出来たての都庁見てびっくりしたり。シネスイッチの帰りに数寄屋橋の不二家に入ったら、近所の不二家とメニューと値段が違う銀座値段の店で、何も食べずに出てきたり…。

     ただ、その頃、相撲が空前の若貴ブームでして、それに助けられて沢山ビデオは借りられました。
     どういうことかと言うと、行きつけのビデオ屋が相撲の勝敗を当てると無料券が当たるということをやってたんですね。で、とにかく真剣に相撲を研究しまして、勝ち越してる力士と星が五分の力士が千秋楽で当たると大抵勝つのは…、とか。おめでたいことがあった力士に負けてご○○代わりに○○金を相手にあげることがあるようだ…、とか。長い○○前には金星は出ずらい、なぜなら…、とか。もちろん都市伝説ですけど、…ただそんな都市伝説通りの予想で、高校三年間はほぼタダでビデオ見てました。若乃花の初優勝も当てて、ツイン・ピークスを全巻タダで借りたことを覚えています。

     高校生の頃はとにかくスティーブ・マーチンが好きでした。あとレスリー・ニールセン。なので白髪に憧れたりしました。(若い人で2人とも知らないという方がいましたら、こんな時代なんで検索してくださいね。以降も注釈なしで固有名詞書き連ねます)
     で、スティーブ・マーチン→「サボテンブラザーズ」→マーティン・ショートとチェビー・チェイス→サタデー・ナイト・ライブ→ジョン・ベルーシ→ブルース・ブラザーズという流れで、ジョン・ランディスの一連の映画にはまっていきます。
     「ブルース・ブラザーズ」はもちろん、「アニマルハウス」のトーガ・パーティーでのOTIS DAY & THE KNIGHTSのシーンとか大好きで、今でも元気がない時は心の中で「トーガ!トーガ!トーガ!」って呟きますし、ベルーシのニキビの真似、フード・ファイト、ナチスの真珠湾攻撃のスピーチとか、全部くだらないシーンですけど大袈裟でなく生きる動機になってました。
     当時は学校がまるで面白くなくて、でもガキで学校=人生の全てだったので、人生はつまらないと悲観してた思春期まるだしの頃。唯一、映画の中には面白いと思えることが溢れてて救われました。人が生きる意味は映画を観ること、それもなるべくくだらない映画を観ることなんじゃないかと思ってました。
     特にジョン・ランディスはマイノリティが笑いと音楽で権威を吹っ飛ばしていく映画をいっぱい撮ってて大好きでした。「笑いと音楽」で世の中の理不尽に対抗できるんだ!ってかなり影響を受けました。だから、たまごっちブームの頃に「おばかっち地球防衛軍」って邦題で公開されたやつだって見ましたよ。電車男ブームの時に「ナポレンオン・ダイナマイト」が「バス男」で公開された件より、ひどい邦題だと思いますけど。

     そんなジョン・ランディスの「狼男アメリカン」や「スリラー」のPVで特殊メイクのリック・ベイカーのことを知って、そこからトム・サヴィーニを知って、怖がりなんでそれまで見なかったホラーを見るようになってと高校生活は続きますが、長くなるのでこの辺で。
     と言いつつひとつだけ。VHSで観るホラー映画って怖かったですね。テープがすり切れて画像が色褪せてる感じが。あとDVDやBlu-layだと傷がついてると止まっちゃいますけど、VHSだとノイズまじりのまま再生が続くので、はずれのテープ借りた時が一番怖いのが見れるという。
     今度、「悪魔のいけにえ」が4KのBlu-layで出ますけど、いちばん怖くて嫌な気持ちになるのは、「貸し出し回数100回以上のVHSテープ」からスキャニングしたバージョンじゃないでしょうか。そんなアナログリマスターも出して欲しいです。

     今週はこの辺で。来週は結局、受けた大学は全部落ちたという話から。
     映画好きはみんな友達。友達の映画、見に来てね。  

  • 2015.10.30

    ◆大学時代①◆

     中3と高1の間の春休みに映画監督になると決めた話を書きましたが、そうして映画ばかり見ていた高校三年間、あと漫画ばかり読んでいた高校三年間、あとピーズとボガンボスのライブばかり行っていた高校三年間の締めくくりとして、日芸と武蔵美を受験し、見事に落ちました。
     日芸の面接では、「好きな映画は?」と聞かれ、「ブルースブラザーズです」と答えたら、面接官の教授に「私はそんな映画よりも面白い映画を1000本は知っている」と言われ、その後はずっとその面接官の好きな映画の話を聞くだけで面接終了。帰り道、「これはどうやら落ちたな」という予感と、ブルースブラザーズを貶された悔しさで、気が付いたら江古田駅のホームで泣いてました。この時のこと思い出すと、なんか黄色っぽいです、記憶の中の風景が。ざらざらした黄色。砂埃の中みたいな。

     で、まぁ浪人するのは嫌だったので、仕方なしに(と言ったら怒られますが)お隣の厚木市に新設で出来た東京工芸大学の芸術学部映像学科というところなら二次募集でも入れそうだったので(と言ったら怒られますが)、受けたらあっさり入れました(と言ったら怒られますが)。
     僕、東京工芸大学芸術学部映像学科の1期生です。

     1期生なので、サークルもないし、先輩もいないし、1浪、2浪の年上の同級生はいましたが、なんか大人の遊びを教えてくれる人はいなくて、高校三年生を四回繰り返すみたいな大学生活でした。出たばかりのプレステばっかりやってました。ポリゴンすげぇ!とか言って。バーチャルって言葉が最先端の言葉な時代。

     その頃はバイトもレンタルビデオ屋で、映画漬けで幸せでしたね。同じ大学の藤本君も一緒に働いていたので、仕事しながらずっと映画の話をして。「ロサンゼルスのビデオ屋の店員が“レザボア・ドッグス”って面白い映画を撮ったらしい」
     とか、
     「古厩監督の“灼熱のドッジボール”は何故あんたに素晴らしいのか?」
     とか、
     「“死んでもいい”と“ヌードの夜”、どっちが好き?」とかとか。
     中学、高校では映画の話する人がいなかったので、ずっと喋ってました。

     あ、書いてて思い出しましたけど、高1の時、急に担任に呼び出されて職員室に行ったら、同じクラスのK君もいて。それで「あなた達、2人とも友達がいないみたいだから、友達いない同士で仲良くしなさい」って言われて。自分は、内面は鬱々としてましたが、外面としては明るく楽しい福原君を演じきれてると思っていたので、「友達いないってバレてる!」ってショックでした。K君とはタイマーズの話で2日間ほど盛り上がり、その後卒業まで一言も喋りませんでした。
     そんな感じだったので、大学はみんなが映画の話しかしないので楽しかったです。

     で、最初のゴールデンウィークを利用して、いよいよ映画を撮ってみることにしまして。Hi8で。
     最初は藤田敏八監督の「リボルバー」みたいなやつをと思ってたんですが(これも藤本君に薦められ記憶があります)、なんか色々あって松本大洋先生の短編漫画の「リボルバー」を元に1本撮りました。なにせ初めてのことなんで、カット割りに悩んだら漫画のコマ割りのまんま撮ればいいやと思って。練習だし、と。もちろん上映するつもりもないので無許可で。
     みんなで大騒ぎして撮ったのに、完成品は誰にも見せなかった気もします。けなされるのが怖くて…。
     これを書くために久しぶりに見返しましたが、若さ爆発で羨ましいです。撮ってる自分も、映ってる役者(だたのクラスメイト)もほんのちょっとも自分のことを下手だとか才能がないとか思ってない。自信満々でやってるんですよね。怖いもの知らずで。今はこんな風には作れないな、と思います。

     で、その後、夏休み前に、自分で0から台本書いて撮りまして。
     こんな話です。
     大学のUFO研究会。UFOに興味はないが、部室と部費が支給されるからという理由で所属していた2人組。何の活動もしていないのがばれて廃部の危機に。慌ててUFOを呼ぶ機械を製作。とりあえずの活動実績を作って、部を存続させようと、学校の屋上にその機械を設置するが、屋上に様々な人が現れ…、みたいな話。
     基本的にUFOは関係なく、屋上で冴えない大学生の駄話が続くストーリーなんですが、映画が終わる30秒前位に突然宇宙人が現れて、30秒だけSFやって終わるという。
     屋上とかラスト間近に突然の…、とか「愛を語れば変態ですか」と同じですね。今、気付きましたけど。

     不思議なもので、この頃の記憶は画質がまちまちです。Hi8で撮ってる時の記憶はHi8の画質なんですよ。撮影と関係ない、彼女と飯くってる時の記憶とかもHi8で。8mmで撮影してた時の記憶は8mmフィルム風だし。16mmの時は16mm。「記憶と画質」っていうテーマで誰か論文とか書いてたら読みたいです。

     話がぼんぼん飛びますが、屋上とか屋根の上とかやたら好きです。東京来て、高円寺駅の高架のホームから、杉並の建物の屋根がぶぁわーって見えるのが大好きになって、駅前のパル商店街のアーケードの上で猫がボンゴ叩いてるのを空想するという遊びをよくしてました。空手バカボンの「屋根の上の猫とボク」の世界ですね。大好きな曲なんで。

     もう一個話飛びますが、大学の最初の授業の課題が「カッコいい喫煙シーンの撮り方」でした。時代ですね。

     なんて映画に夢中の日々でしたが、映画をきっかけに演劇にも興味を持つようになります。その話はまた来週。

     映画好きはみんな友達。友達の映画、見に来てね。

  • 2015.11.06

    ◆大学時代②◆

     大学は1、2年が神奈川県厚木市の山奥。この校舎は家から原付で20分くらいのほぼ地元。で、3、4年が中野坂上でした。というわけでハタチで上京。JR中央線の荻窪駅と阿佐ヶ谷駅と西武新宿線下井草駅を結んだ三角形のちょうど真ん中くらいに住んでました。

     東京に出てきて、またすぐにレンタルビデオ屋に勤めます。この95年頃には、地元ではもうビデオ屋は国道沿いに大手チェーンの店がドーンと立って独占状態になっていましたが、東京は個人経営の店がまだまだ頑張っていましたね。
     僕がバイトしていた店も個人経営で、途中から仕入れも任されていたので、誰も借りないような映画も勝手に仕入れていました。たしか「スイートチャリティー」だったか、新作でもないのに入荷して、その後一回もレンタルされてないのがばれて店長に怒られた気がします。基本、AV を借りに来る肉体労働者がメインで、AVついでにアクション映画を借りていくという店だったので。

     ただ、ついでと言ってもみなさんアクション映画はかなりこだわりがあったようで、スタローンとかシュワルツェネッガーはバカにされていて、バート・レイノルズとかチャック・ノリスとかが尊敬されてましたね。なので、「ブギーナイツ」が話題になった時に、“ポルノ!”“巨根!”“バート・レイノルズ!”ってポップに書いたら、みんな借りてました。借りて、「長い!高い!」って言ってました。120分を超える映画はなぜか割増し料金取ってた店だったので。

     このビデオ屋は本当にひどくて、途中から貸し出し用のパソコンが壊れて、顧客データがすべて消えたんですね。でも店長が「新しいシステム入れるお金がない」って言い出して、結局、バーコードをピッってやるフリだけして貸し出して、あとはちゃんと返してくれるのを信用して待つという。誰に何を貸したのか全く把握できてない店だったんです。持ち逃げされてもわからないし、「プリンターが壊れた」って嘘をついて、貸した日付だけは紙に書いて渡してたんで、延滞料金はなんとかもらってました。

     とにかく店長は無茶苦茶な人で、飲酒運転中に道路脇の駐車場に突っ込んで、停めてあった車に次々ぶつけて、自分も血だらけになって店に逃げ込んできて、僕が説得して自首させたりとかもありました。
     あと、あちこちで借金をしていて、ある日、僕が一人でバイト中に、怖い人達が十数人で店に現れ、借金の形にビデオを全部持って行ってしまったという事件もありました。このビデオは数日後に戻ってきましたけど、その間も店長は意地になって営業し続けてましたね。他の店から数本、レンタル落ちのテープを買ってきて。レンタル落ちをレンタルするレンタル店…。

     他にも、店長の愛人がタイ人だったんですけど、店に差し入れで酸っぱいスープを持ってくるんですよ。これがトムヤムクンだと認識するのはまだ数年先のことで、この頃は「また腐ってたスープを持ってきた!」とか思ってました。

     そんな店長はある日から急に店に来なくなって、連絡もつかなくて、結局、部屋でポックリ亡くなっていたという…。死因は教えてもらえませんでしたけど、店長のお兄さんから「いろいろ面倒かけたな」って二万円だけもらって、その月のバイト代はうやむやになったまま、店は潰れました。
     数年後通りかかったら、そろばん塾になってました。そろばん塾って昔からあるものってイメージで、新規オープンのそろばん塾を見たことがなかったので、少なからず衝撃を受けました。

     映画の話に戻ります。

     …と、言いつつ、この頃、どんな映画を観ていたかほとんど覚えてないんですよね。バイト中もずっと店のモニターで映画を流していたんで、本数はやたら見てる時期だと思うんですけど。ビデオ屋で稼いだバイト代で、高円寺のオービス(※ググって下さい)でビデオ借りるって生活でしたからね。オービスの店員も当時は大学の同級生でした。懐かしい。

     とにかく何を見ても熱くなれない時期だったかもしれないです。大学入って授業や友達同士の遊びの延長とはいえ、自分で映画を撮ってみて、自分の才能はどの辺にあるのかというのを薄々感じ出すわけで、面白い映画見ても自分との差にため息つくだけという。

     当時、授業で撮った映画は…、

     倦怠期のカップル。「野球観戦したい」という女を、男は河原でやってた、知り合いでも何でもない草野球の試合に連れていく。呆れてため息をつく女。その瞬間、男は「俺との愛を疑ったな?!」と憤り、「今からホームラン打つから惚れ直せ!」と草野球の試合に乗り込む。見知らぬ男の乱入に当然「帰って下さい」と言う草野球の面々を、男は“学生映画名物・突然殴り殺す”という展開で対応し、生き残ったピッチャーからホームランを打つ。ピッチャー、打たれたショックからマウンドで自殺。死体だらけのグランドで寄りの戻った男女は愛のダンスを踊りまくる。
     というだけの話でしたが、先週書いた初めて脚本書いた映画と同じで、これもある意味、「愛を語れば変態ですか」と似たような話です。私はもうなにひとつ成長していないことがわかりました。

     舞台でも“愛を動機に暴走する人”という話をやたら書いてきた気がしますが、これは「ブルース・ブラザーズ」からリズム&ブルースを好きになった影響かと思います。リズム&ブルースの歌手のみなさんは、訳詩を読むとアルバム一枚、一曲目からラストの曲まで「お前を愛してる」とか「お前のでかいケツを愛してる」とか「俺は黒いナマズ、お前を一晩中揺さぶりたい」とか「お前に入り込んでもう一回生まれたい」とかそんな歌ばかり聞いてきたので、“愛!、それもちょっとスケベを含んだ愛!を大袈裟にシャウトする” というのがすり込まれている気がします。

     で、長くなったのでいろいろ省きますが、在学中にちょっとづつ演劇の方にシフトしていって(主に当時付き合っていた彼女の影響)、卒業制作は映像学科だったのに演劇公演で卒業するというあたりから、このコラムのタイトルの「監督になりたくて」から道が大きく逸れていくのですが、その話はまた来週。

     映画好きはみんな友達。友達の映画、見に来てね。

  • 2015.11.13

    ◆「演劇時代」◆

     さて、映画監督になりたくて大学も映像学科に進んだ私ですが、気が付くと劇団に入って演劇やっていました。

     大学4年の頃でしょうかね、同級生でバイトも一緒だった藤本君の映画に役者で出たことがありまして。相手役が小劇場の女優さんだった縁で、それまでも芝居は観てましたが、それからより見るようになったんですね。
     そのうち知り合いの劇団の公演を手伝ったりしてみて、同じ予算でも16ミリなら30分の短編しか撮れないところを、演劇なら2時間のお話が出来るぞと気が付きまして。もちろん何にどう予算をかけるかで、映画も演劇もいくらでも数字は変わってくるので、これは当時の僕がやりたかったことの範囲での比較ですが。
     とにかく「映画の勉強になるだろうし」と、気軽な気持ちでとある劇団に演出助手で入りました。22才の頃でした。

     …それから18年。まさか今でも演劇を続けているなんて自分でも驚きです。もちろん楽しいから続けているんですが。

     ダイジェストでここまでの演劇人生を振り返りますと、

     22才、劇団所属。演出助手で入るが、いろいろあって役者が足りなくなり舞台に立つことに。初舞台で「ぼーっとしてた」という理由で1シーンまるまる出番を忘れる。その年の冬には退団。
     23〜26才、役者を辞めようと思っていた頃、劇団「ゴキブリコンビナート」と出会ってしまい、衝撃を受け役者続行。天井から水がしたたり徐々に水没していく舞台(客席も)等々で、全身豚の糞尿まみれ(共演者が本物の豚だから)、豚の内臓まみれ、サバまみれ、サイリウムの中身まみれといった様々なものにまみれた状態で、2台のショベルカーで戦う(客席で)等々の内容の芝居(しかもミュージカル)に何本も参加させてもらい、すっかり映画のことは忘れていく。

     27才、ようやく自分の劇団を旗揚げ。沢山の人に鼻で笑われ、後ろ指をさされながら牛歩で今にいたる。演劇人生で二回ほど土下座しました。あぁ怖かった。

     映画好きの皆様に興味を持って頂けそうな話だと、筋肉少女帯の“サボテンとバントライン”という曲を舞台化したことがあります。
     “サボテンとバントライン”は友達が猫しかいない映画好きの少年が、「僕はこの世を憎む」と言って映画館に爆弾を仕掛けるのですが、その映画館でちょうど“真夜中のカーボーイ”が上映されていたため、“映画に見とれていた少年は/ムービーシアターもろともふっ飛んだ”という歌詞の映画ファンなら涙なくして聞けない歌でございます。

     舞台では歌詞の世界と同じような内容の学生映画を撮っている高校生と、その高校生のその後の人生という構成のお話でした。
     「タクシー乗ってたデニーロも、バスに乗り込んだダスティン・ホフマンも、蜂の巣になったポール・ニューマンも…。映画を見ている最中はみんな仲間だと思ってたのにさ。…結局、俺の生活だけが、いつまで経ってもアメリカン・ニューシネマだ」なんて台詞を書きましたね。
     「愛を語れば変態ですか」に出てもらっている今野さんと初めて一緒に物を作ったのもこの作品です。

     この舞台では“VHSしか置いていないレンタルビデオ屋”が出てきて劇中で潰れていくのですが、現実でも個人経営のレンタルビデオ屋はほぼ壊滅状態の時代になっていました。
     その分、ワゴンセールに大量のVHSの映画が出るようになりまして、「おぉ!XYZマーダーズが100円だ!」なんて喜んで買っては、別にそんなに好きじゃなかった(サム・ライミは大好きです)ことに気が付くということを繰り返していました。
     100円くらいだと、好きな映画がワゴンの中で乱雑に転がっているのが悲しくて、持っているのに買ったりして。「ファンダンゴ」を3本も持ってたりしましたね。で、好きな子にあげたりして。
     「好きな子に好きな映画をあげる」というのは昔からついしてしまう行為ですが、良い反応があった試しがないですね。  これは私(ジゴロ)の豊富な恋愛経験から、モテない皆さんにアドバイスしますけどね、女の子ってジョン・カーペンターとかじゃ喜びませんからね?、知らなかったでしょ?、今年のクリスマスに「エスケープ・フロム・L.A.」のDVDとかプレゼントしようとしてたでしょ?。「ラストシーンのカート・ラッセル見たら、一生禁煙なんかしなくなるぜ」なんてピロートークを目論んでもダメです。私(ジゴロ)が試してダメでしたから。女の子には、カート・ラッセルなんて骨太じゃなくて、もう少しスマートなアル・パチーノです。今年のクリスマスには「スカーフェイス」をプレゼントしましょう。メルヘン好きの女の子には「ホビットシリーズと同じ監督なんだぜ」なんて言って「ブレインデッド」をプレゼントしましょう。

     話を戻します。
    そんな流れで、“レンタルする”から“買う”という癖がついてきた頃にはすっかりDVDが安くなりまして。これには参りましたね。やっぱり買っちゃうから。だってVHSとか1万5千円とかしてたのに、DVDは2本で千円とか…。最初は「偽物なんじゃないか」と疑っていたくらいです。
     で、20代半ばからとにかく貧乏で、映画館に行くお金がなくて、DVD買って繰り返しみるか、飯田橋のギンレイホールの会員(一万円で一年間映画見放題)だったので、ギンレイホールばかり行ってました。
     駅前のドトールでミラノサンドBを買って、朝からギンレイホール。夜から夜勤バイト。もしくは稽古。そんな毎日。

     23才〜33才くらいまでは、とにかく貧乏な時期でした。風呂なしのアパートで、さらに途中でトイレが壊れて大家に直してもらえなくて、風呂もトイレもない部屋でレンタル落ちで買った「カビリアの夜」とか「影と霧」とか「無能の人」とか「ソナチネ」を繰り返し見てました。なんかどれも暗いですね。暗いけど明るいですね。明るいけど暗いですね。

     「沢山の映画のその中には、君のような(さえない)人間が大活躍する話がきっとある。君の仲間がきっといる。映画を観てれば大丈夫。一生、さみしくなんかない」
     前述の舞台“サボテンとバントライン”の台詞です。自分を励ますために台詞書いてた時期でした。まぁそんな私もひょんなことから「映画撮りませんか?」と声をかけられて、今回の話になるわけです。次週はいよいよ公開が近づいてきたので、撮影の時の話などを書いていこうかと思います。

     映画好きはみんな友達。友達の映画、見に来てね。

  • 2015.11.20

    ◆「いよいよ撮影。の前に」◆

     えーだらだらと映画について書いてきましたが、まとめると「映画ったら、その時々で距離感が変化しつつ、ずっと私の傍にいたのよ」って感じです。
     そんな私に「映画撮らないか?」と言う人が現れたので、心の中で「うひょうひょあびびびびびぃぃ」と奇声を発し、少量の小便を漏らしながらも冷静を装って「まぁ諸々の条件が合えば」なんて答えて、今に至るわけでございます。

     そんなわけで、以前舞台でやった台本をもとに、映画用に直す作業から始めました。そう今回の映画は、元々舞台で上演した作品なんですね(自分の劇団ではないですが、作・演出をしてました)。ただ、この10年前の舞台版はラストで屋根のあるお店の中で何故か豪雨が降り舞台びしょ濡れ、主人公が地球を割って去っていくという展開に合わせてセットも真っ二つという趣向でしたので、これを映画でやるとなると、お店のセットを建てないといけない。それは予算的に厳しいなぁということで現状のものに書き直しました(結局、二転三転してお店はセットを組んだんですけどね)。

     脚本が出来ると、各スタッフさんとの打ち合わせ。これは初めてのことが多くて、映画と演劇の違いに四苦八苦しました。もちろん楽しい“違い”もありまして、一番は、技術的なことではないんですが、「映画の人とは映画の話が出来る!」ということです。
     「え、演劇の人って演劇の話しないの?」と聞かれそうですが、もちろん演劇関係者同士で演劇の話をすることはあります。でも、演劇ってその場限りの物なので、例えば年上の役者さんやスタッフさんに「70年代の劇団○○の△△って芝居が…」って言われても、「見てないです」とか「生まれてないです」とか「噂は聞いたことあります」で話が終わっちゃうんですよ。
     でも映画だと、「72年のゴッドファーザーが…」って言われたら、50代以上の方が「映画館で見た」、40〜30代が「ビデオを借りて見た」、20代が「Blu-rayのリストア版を買って見た」、見たことない人がいても「今日帰りにレンタルしていきます」ということで、結果、みんなで楽しく「馬の首!蜂の巣!喉からの眉間でテーブルバーン!」と騒げるわけでございます。演劇は過去の作品について、違う世代の人とこういう話は出来ません。

     なので、スタッフさんと映画の雑談をするのはとても楽しかったです。誰かが、とある作品のタイトルが思い出せなくて、延々喋った後にようやく作品名が出た時に、「“赤ちゃん泥棒”じゃないんだから」という誰かのツッコミ、それだけで笑う周囲の一同…、みたいな幸せな時間。厳密にはこの時、わざわざ原題で「“ライジング・アリゾナ”じゃないんだから」と言ってました。確かにタイトルは原題でバーンと出るんですよね。ってなんのこっちゃの人は“赤ちゃん泥棒”のオープニングを見てください。にしてもニコラス・ケイジって一体いつからハゲてたんでしょうか。
     映画話と言えば、撮影中に永島さんにずっと聞きたかった質問をしてみました。それは「GONIN」のクライマックスで大越組長が死ぬ間際に突如語りだすアレ。大好きなシーンなんですが、アレは一体、どういうアレなのかと野暮なアレですがアレしたら永島さんからアレは実はアレなんだよと聞いてうぉぉぉと思いました。ちょっと感動と苦笑いが同時にやってくる永島さんと石井隆監督のアレ裏話でした。

     さて、この辺で主なキャストのみなさまをご紹介してみます。書こうと思うといくらでも長く書けちゃうので、ちょっと失礼ですが、あえて箇条書きで。

     まず黒川芽以さん
     オーケンファンとしてはなんと言っても実写版山口美甘子です。全ての映画少年は山口美甘子に惚れているので僕も惚れています。一緒に仕事して惚れ直しました。“野良な色気”のある方です。

     野間口徹さん
     実は15年くらいの付き合いです。最初の劇団を作るきっかけの人だったり、最初の映画に出てくれたり、人生の節目に登場する眼鏡の人です。

     今野浩喜さん
     最初に舞台でご一緒する前から、なぜか勝手に「この人は僕の台詞を理解して喋ってくれそうだ」と思っていた方です。つい顔を見ちゃいますが、実はすごくスタイルがいいです。

     栩原楽人くん
     かわいい顔して鬱屈しているので大好きです。あと、ものすごい身体してます。6つに割れた腹筋のひとつひとつに楽人とマジックで書きたいです。

     川合正悟さん
     面白い人は大抵意地悪ですが(某今野さんのように)、チャンさんはいい人なのに面白い大変貴重な方です。チャンさんの顔した仏像を作ったら、みんな拝むと思います。

     永島敏行さん
     大学時代にバイトしていたビデオ屋で、永島敏行コーナーを作っていたのは僕です。いろんな意味で大きい方です。見てもらえばわかりますが、今回のあの特徴的なあれは永島さん自身のアイデアから生まれました。

     他にも私の周りではおなじみの方が、通りすがりや声の出演をしてくれています。

     えー撮影中の話までたどり付きませんでしたね。来週に取っておきましょう。いよいよ公開も間近です。

     映画好きはみんな友達。友達の映画、見に来てね。

  • 2015.11.27

    ◆「撮影のもろもろ」◆

     さて、いろいろあってついに撮影です。いろいろっていうのはつまり小学生の頃からのいろいろな訳で、撮影初日は一人で感動しておりました。「ついにここまで来たなぁ」と。家を出る前に被っていく帽子で悩みまして、黒澤風にマリンハットにするか、松竹だし小津風にピケ帽にするかとか考えましたが、撮影は12下旬、年末の極寒の中だったので、普通にニット帽にしました。

     が、そんなワクワクを楽しんでいられたのは帽子選びまででした。撮影ではいきなり大問題が起きます。それは何かと言いますと、例の“アレ”です。映画監督と言えば誰もが思い浮かべる“アレ”が出来なかったのです。

     そう「よーい、スタート!」です。

     私、人前で大きな声を出すのを苦手としていまして、普段、舞台の稽古でも声を荒げて演出するなんてことはまずないのです。そんな私が、大勢のスタッフさんと役者さんを前にして、大きな声で「よーい、スタート!」なんて言うのはとてもじゃないけどもう…。
     普段の稽古では「よーい、スタート!」の代わりに、「じゃあ…、どうぞぉ…」と言ってぬるっと稽古を始めます。これは大きな声を出したくないというのもありますが、舞台は本番になると役者自身が舞台上の空気をコントロールしないといけないので、こちらでなにか集中するようなキッカケを作らなくても、勝手にそのシーン毎のテンションになって欲しいというのもあります。
     っていうか、そもそも人前ではっきりと意思表示が出来ないから、伝えたいことを作品に込めるという作業を始めたわけで、「よーい、スタート!」なんて大声で言えるなら、最初から演出家とか映画監督とかになってないのだけどもなぁと思ったり。そういう意味では「よーい、スタート!」と言う代わりに、「よーい、スタート!」というメッセージを込めた短編芝居を毎回披露することで私の気持ちを感じとって頂けないかという提案も頭の中に浮かびましたが、数カット撮ったところで撮影監督の早坂さんが「監督、やりずらくてみんな困ってます」と誰よりも早坂さん自身が困ってそうな苦笑いで伝えてきたので、頑張って「よーい、スタート!」と言えるようにしました。

     さてスタートが言えるようになると、今度は「カット!」、そして「オッケー!」を言わなければいけません。「オッケー!」の後には出来れば、「いやぁ野間口ちゃん、最高、最高、いいね、いいね、ノってるね!」とかも言えるとなおいいです。これを言わないと野間口さんがスネます。嘘です。
     えー「カット!」は言えるんですが、「オッケー!」を言う判断が難しいんですね。なにせ普段、演劇の現場で一ヶ月稽古している人間なので、その感覚で判断しようとすると、細かいことはいくらでも言えます。
     「台詞の語尾を半音あげて」
     なんてことを普段は言います。でも、今回の短い撮影期間で、そこを突き詰めてると撮影が終わらないんですね。あ、だから妥協したって話じゃないですよ?、違う判断基準で「オッケー」を出していくんですが、その基準に自分自身が慣れるのに少し手こずったというわけです。

     半音のこだわりなんて自己満足じゃないかと思う方もいるかもしれませんが、舞台をやっていると、本番は毎回やはり少しづつ演技が違うわけです。その「ちょっとづつ違う完成品」をお客さんにみてもらうわけですが、そうすると半音の違いでお客さんへの伝わり方がものすごく変わるということを体験します。
     もちろんどう変わろうと、お客さんからお金を頂くに値する範囲内のものに作りあげます。100点と105点の差と言いましょうか。例えば笑いの台詞でいうと、「大笑い」と「手を叩きながらの大笑い」の差は語尾の半音とか、半間とかに隠されていたりします。間は編集で調整を、とも思いますが、半音は…。いや、今日の分を撮りきるには…。そもそも今のテイクだって100点の演技だし…。でも105点だせそうだし…。とか悩むわけですね。
     判断のスピードこそが才能だと誰かが言ってまして、なんとなくわかった気になってましたが、それをものすごく実感しました。

     そんな感じで撮影は「スタート」、「カット」、「オッケー」、「野間口ちゃん、いいねっ!」の四つを大声で叫びながら苦労しつつも楽しく進みました。
     終盤の河原の撮影で、音声さんが向こう岸の工事の作業音にピリピリして、助手さんに「殺してこい」と命令していたのも「あぁ映画の撮影現場っぽい!」と喜びながら見てました。助手さんが命令に逆らって誰一人として殺さなかったので、無事公開に辿り着きました。

     そう、明日11月28日からようやく公開なんです。

     第一回から読んで頂いて、「嗚呼、あのタバコの煙もくもくの映画館の中でジャッキー・チェンに心を掴まれた小学生がついに公開まで辿りついたかぁ」と感慨にふけって頂ければ。クライマックスにジャッキーの「ヤングマスター」へのリスペクトを1カット入れさせて頂きました。エンドロールには「レポマン」を。

     タバコの煙の充満した映画館で観てみたい気もします。あの頃みたいに。

     というわけで、
     映画好きはみんな友達。友達の映画、見に来てね。